<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>
出雲大社は、白山神社、伊勢神宮に次ぐ、万能の神、総合ビタミン剤の極めつけといえる。男女の縁結びに関しては、『恋の守護霊』を読んで、詳しく研究し、その上で、出雲大社と生まれ故郷の産土神社に開運祈願したほうがよいとのことだ。
以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。
延喜式神名帳に名神大、つまり大社と指定された神社数が二二三社。明治から昭和にかけて官幣、国幣大社に列せられた神社は計七一社あるが、その中で単に「大社」という言葉だけで通じるのは、出雲大社だけ。ちなみに、「神宮」だけで通るのは伊勢神宮だけだ。
出雲大社の創建は、ご承知の通り国譲り神話に基づく。天孫族に国譲りを迫られた出雲神、大国主命は、大宮殿の建築を見返りとして国を譲り渡した。
その大宮殿が大正十四年まで杵築大社と呼ばれた出雲大社である。現在本社本殿の高さは二十四メートルであるが、平安時代の記録によれば四十八メートル、さらに遡り、創建当時は九十六メートルであったとされる。ある大手建設会社が、コンピュータを駆使して復元作業を行ったところ、平安時代四十八メートルの本殿は確かに存在したという結論を得た。
出雲大社のご祭神は、もちろん大国主命だが、大国主命は、大物主命(おおものぬしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、葦原色許男命(あしはらしこおのみこと)、宇都志国玉命(うつしくにたまのみこと)、大国魂命(おおくにたまのみこと)と、計七つの名をお持ちだが、これはそれだけ霊力が大きく、働きに多様性を持っている大神霊だということを意味している。
出雲の神が、なぜ縁結びの神といわれるのか。大国主命が須勢理比売(すせりひめ)と結婚するにあたり、比売の父親須佐之男命がさまざまの試練を科した。大国主命と比売は艱難辛苦しながらも、見事、試練に耐え抜き結ばれることになった。さらに須佐之男命と櫛名田比売のドラマチックな結婚までのいきさつ・・・・・・。
男女の堅い愛、信頼関係が縁結びの根源なのである。さらにもう一つ、この出雲に八百萬(よろず)の神が集結し、会議を行うのであるが、その議長を務めるのが大国主命であるとされているので、その元締に、祈願した良縁を議題に挙げていただくようにお願いするわけだ。しかし、神霊界における神計りの会議は、現在別のところで行われている。ところで、須佐之男命は結婚に際し、
「八雲立つ、出雲八重垣、妻ごみに、八重垣つくる、この八重垣を」
と読まれたが、これを和歌の始まりとして、須佐之男命は大和歌の起こりの神にもなられたのである。
大国主命は、また仏教の守護神・大黒天と同一とされている。大国(だいこく)と大黒(だいこく)の音が等しいことからくる見方だが、本来は全く別のものである。大黒天はインド渡来の仏であり、観世音菩薩の化身であったり、白蛇、水龍神、水蛇などの化身であったり、僧侶の人霊の化身であったりするのだ。このことは天台宗では甲子大黒天の修法を行う時、観音経を上げるのをみてもわかる。同一視は鎌倉時代以降のことだが、戦国時代、尼子経久が出雲大社を天台宗系の神仏習合形式に改め、百年間それが続いた。その時の名残が、この大黒信仰だといえよう。
いずれにしろ、世事万端、ありとあらゆるご利益が得られるのが出雲大社である。
数えあげれば因幡の白兎の故事でもわかる医療の神、幽冥の神、農耕神、大黒様風の富の神、縁結びの神・・・・・・。旧暦十月には日本中の村の鎮守の神が出雲に集まり、氏子たちの問題や悩みごとを話し合われると伝えられることから考えれば、白山神社、伊勢神宮に次ぐ、万能の神、総合ビタミン剤の極めつけといったよい。
ただ、前二社と趣を異にしているのは、和気あいあいとして人脈を広げたり、人から人へと、よき人のつながりで開運し、事業を成らすという特色である。医療なども、よき医師と知り合いになり、最高の病院で治療を受け、よき人の励ましを受けて気力が回復し、病が全快したという具合である。そして、盛り上がりに欠ける人物や組織に、盛り上がりの気を充満させることにより、一切が開運して事業がなるというような功徳である。
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出雲大社は、白山神社、伊勢神宮に次ぐ、万能の神、総合ビタミン剤の極めつけといえる。男女の縁結びに関しては、『恋の守護霊』を読んで、詳しく研究し、その上で、出雲大社と生まれ故郷の産土神社に開運祈願したほうがよいとのことだ。
以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。
延喜式神名帳に名神大、つまり大社と指定された神社数が二二三社。明治から昭和にかけて官幣、国幣大社に列せられた神社は計七一社あるが、その中で単に「大社」という言葉だけで通じるのは、出雲大社だけ。ちなみに、「神宮」だけで通るのは伊勢神宮だけだ。
出雲大社の創建は、ご承知の通り国譲り神話に基づく。天孫族に国譲りを迫られた出雲神、大国主命は、大宮殿の建築を見返りとして国を譲り渡した。
その大宮殿が大正十四年まで杵築大社と呼ばれた出雲大社である。現在本社本殿の高さは二十四メートルであるが、平安時代の記録によれば四十八メートル、さらに遡り、創建当時は九十六メートルであったとされる。ある大手建設会社が、コンピュータを駆使して復元作業を行ったところ、平安時代四十八メートルの本殿は確かに存在したという結論を得た。
出雲大社のご祭神は、もちろん大国主命だが、大国主命は、大物主命(おおものぬしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、葦原色許男命(あしはらしこおのみこと)、宇都志国玉命(うつしくにたまのみこと)、大国魂命(おおくにたまのみこと)と、計七つの名をお持ちだが、これはそれだけ霊力が大きく、働きに多様性を持っている大神霊だということを意味している。
出雲の神が、なぜ縁結びの神といわれるのか。大国主命が須勢理比売(すせりひめ)と結婚するにあたり、比売の父親須佐之男命がさまざまの試練を科した。大国主命と比売は艱難辛苦しながらも、見事、試練に耐え抜き結ばれることになった。さらに須佐之男命と櫛名田比売のドラマチックな結婚までのいきさつ・・・・・・。
男女の堅い愛、信頼関係が縁結びの根源なのである。さらにもう一つ、この出雲に八百萬(よろず)の神が集結し、会議を行うのであるが、その議長を務めるのが大国主命であるとされているので、その元締に、祈願した良縁を議題に挙げていただくようにお願いするわけだ。しかし、神霊界における神計りの会議は、現在別のところで行われている。ところで、須佐之男命は結婚に際し、
「八雲立つ、出雲八重垣、妻ごみに、八重垣つくる、この八重垣を」
と読まれたが、これを和歌の始まりとして、須佐之男命は大和歌の起こりの神にもなられたのである。
大国主命は、また仏教の守護神・大黒天と同一とされている。大国(だいこく)と大黒(だいこく)の音が等しいことからくる見方だが、本来は全く別のものである。大黒天はインド渡来の仏であり、観世音菩薩の化身であったり、白蛇、水龍神、水蛇などの化身であったり、僧侶の人霊の化身であったりするのだ。このことは天台宗では甲子大黒天の修法を行う時、観音経を上げるのをみてもわかる。同一視は鎌倉時代以降のことだが、戦国時代、尼子経久が出雲大社を天台宗系の神仏習合形式に改め、百年間それが続いた。その時の名残が、この大黒信仰だといえよう。
いずれにしろ、世事万端、ありとあらゆるご利益が得られるのが出雲大社である。
数えあげれば因幡の白兎の故事でもわかる医療の神、幽冥の神、農耕神、大黒様風の富の神、縁結びの神・・・・・・。旧暦十月には日本中の村の鎮守の神が出雲に集まり、氏子たちの問題や悩みごとを話し合われると伝えられることから考えれば、白山神社、伊勢神宮に次ぐ、万能の神、総合ビタミン剤の極めつけといったよい。
ただ、前二社と趣を異にしているのは、和気あいあいとして人脈を広げたり、人から人へと、よき人のつながりで開運し、事業を成らすという特色である。医療なども、よき医師と知り合いになり、最高の病院で治療を受け、よき人の励ましを受けて気力が回復し、病が全快したという具合である。そして、盛り上がりに欠ける人物や組織に、盛り上がりの気を充満させることにより、一切が開運して事業がなるというような功徳である。
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